TEXT:荒金良介
──『SUMMER CAMP 2006』はまたラインナップがかなり変わってますね。
マサまず名古屋がなくなったんですよ。最初に会場を押さえたけど、ブッキングがうまく進まなくて。
ヨッキ名古屋のダイアモンドホールに電話して、めっちゃ怒られて、謝りに行ったもんね。結構ギリギリでキャンセルしたから、怒られて当然なんですけどね。
マサ2人で名古屋に行って、謝って、とんぼ返りしました。あと、この頃は2人とも自分たちがやってる仕事に追われて、サマキャンのことを考える余裕がなくて。
──すごく赤裸々に語ってくれてますが(笑)。
マサ今思えばですけどね。やらなきゃいけないけど、やれてないみたいな。
──義務感みたいものが生まれてきた?
マサやり続けなきゃいけない気持ちが生まれてきたのかな。僕はレーベルのこと、S.M.N.で忙しくなった頃なんですよ。
ヨッキ俺は前年に就職してるんですよね。会社をどうしても休めなくて、スタートしてから会場に着いたこともありましたからね。悪いのはわかってるんだけど・・・マサと楽屋でめちゃくちゃケンカしたのを覚えてる。それをROTTENGRAFFTYのNOBUYAが横で見てて、サマキャン復活の年にライヴのMCでその事を言ってた。
──(笑)。
マサ常に若いバンドを出したいと思って、PIZZA OF DEATHでデビューする前のF.I.Bもこの年に出てもらったんですよ。S.M.N.をやっていたので、その世代のバンドと出会う機会も多くて。京都にこういうバンドがいるんだ!ということを伝えたくて。
ヨッキあと、SOUTH BLOWとかね。
──ライヴはめちゃくちゃ良かったですからね。
マサかっこ良かったですよね? あっ、この時にROTTENGRAFFTYは3カ所出てもらってるんだ! まあ、この年は世の中の空気が読めないところもあり、モヤモヤしながらやっていた時期でしたね。
ヨッキうん、そうだねえ。
マサ当時覚えているのは、僕がTHE CHERRY COKE$を出したいと言ったことですね。こんなバンド観たことねえ!という驚きを提示したいと。結果的に出てもらえたから、良かったですね。だけど・・・この年はいろんなものが見えなくなってましたね。
──それで次の年にサマキャンは休止するわけですよね。
マサしばらくやめようかなと。
ヨッキ05年以降はライヴハウスに行く機会もめっきり減っちゃって。当時マサから「ヨッキは何してるの?って聞かれるよ」と言われてましたね(笑)。7月23日(『SUMMER CAMP 2006』)のチッタの打ち上げで泣いたの、覚えてますもん。
──なぜ泣いたんですか?
ヨッキそれは出演してくれたバンド、来てくれたお客さん、マサに対して、自分は不甲斐ねえなと思って。
マサヨッキは自分の中でやり切れなかったんでしょうね。
ヨッキみんなに謝ってまわってましたもん。
──バンドのように浮き沈みはありますよね。
ヨッキ本当そうですね。
マサそれでやらなきゃいけないという義務的な気持ちなら、一度やめようという話をしたんですよ。正直もう二度とやることはないだろうと思ってやめました。
ヨッキそうだね。