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パンク・ラウドの祭典「SUMMER CAMP」全史を振り返る!

「SUMMER CAMP」祝・10回記念特別対談!!
- HISTORY INTERVIEW Vol.4 -
(2/5)

TEXT:荒金良介

──『SUMMER CAMP 2006』はまたラインナップがかなり変わってますね。

マサまず名古屋がなくなったんですよ。最初に会場を押さえたけど、ブッキングがうまく進まなくて。

ヨッキ名古屋のダイアモンドホールに電話して、めっちゃ怒られて、謝りに行ったもんね。結構ギリギリでキャンセルしたから、怒られて当然なんですけどね。

マサ2人で名古屋に行って、謝って、とんぼ返りしました。あと、この頃は2人とも自分たちがやってる仕事に追われて、サマキャンのことを考える余裕がなくて。

──すごく赤裸々に語ってくれてますが(笑)。

マサ今思えばですけどね。やらなきゃいけないけど、やれてないみたいな。

──義務感みたいものが生まれてきた?

マサやり続けなきゃいけない気持ちが生まれてきたのかな。僕はレーベルのこと、S.M.N.で忙しくなった頃なんですよ。

ヨッキ俺は前年に就職してるんですよね。会社をどうしても休めなくて、スタートしてから会場に着いたこともありましたからね。悪いのはわかってるんだけど・・・マサと楽屋でめちゃくちゃケンカしたのを覚えてる。それをROTTENGRAFFTYのNOBUYAが横で見てて、サマキャン復活の年にライヴのMCでその事を言ってた。

──(笑)。

マサ常に若いバンドを出したいと思って、PIZZA OF DEATHでデビューする前のF.I.Bもこの年に出てもらったんですよ。S.M.N.をやっていたので、その世代のバンドと出会う機会も多くて。京都にこういうバンドがいるんだ!ということを伝えたくて。

ヨッキあと、SOUTH BLOWとかね。

──ライヴはめちゃくちゃ良かったですからね。

マサかっこ良かったですよね? あっ、この時にROTTENGRAFFTYは3カ所出てもらってるんだ! まあ、この年は世の中の空気が読めないところもあり、モヤモヤしながらやっていた時期でしたね。

ヨッキうん、そうだねえ。

マサ当時覚えているのは、僕がTHE CHERRY COKE$を出したいと言ったことですね。こんなバンド観たことねえ!という驚きを提示したいと。結果的に出てもらえたから、良かったですね。だけど・・・この年はいろんなものが見えなくなってましたね。

──それで次の年にサマキャンは休止するわけですよね。

マサしばらくやめようかなと。

ヨッキ05年以降はライヴハウスに行く機会もめっきり減っちゃって。当時マサから「ヨッキは何してるの?って聞かれるよ」と言われてましたね(笑)。7月23日(『SUMMER CAMP 2006』)のチッタの打ち上げで泣いたの、覚えてますもん。

──なぜ泣いたんですか?

ヨッキそれは出演してくれたバンド、来てくれたお客さん、マサに対して、自分は不甲斐ねえなと思って。

マサヨッキは自分の中でやり切れなかったんでしょうね。

ヨッキみんなに謝ってまわってましたもん。

──バンドのように浮き沈みはありますよね。

ヨッキ本当そうですね。

マサそれでやらなきゃいけないという義務的な気持ちなら、一度やめようという話をしたんですよ。正直もう二度とやることはないだろうと思ってやめました。

ヨッキそうだね。

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