TEXT:荒金良介
──『SUMMER CAMP 2005』は振り返ってどうでしたか?
ヨッキ個人的なと事になるけど、憧れの人に出会えた年なんですよね。
──誰ですか?
ヨッキ宮田和哉さん!
マサああ、ジェット機に出てもらったもんね。
ヨッキ超ド緊張で、ビシッ!としてました(笑)。
マサこの年は複数箇所ソールドアウトしたんだよね。全体的にかなり人は入りましたね。
ヨッキでも、いろいろ大変だった気がする。
マサ特にクラブチッタのタイムテーブルは凄く悩んだ覚えがある。誰をどう並べていいか、わからなくて。
ヨッキ流れを作るのが難しくてね。
マサ簡単に言うと、この日は個性が強すぎて、どういう空間を作ればいいのか、わからなくなって。
ヨッキよくこのメンツが揃ったよね。
マサまあ、嬉しい悲鳴なんですけどね。当時でも珍しいラインナップだったと思う。
──05年のサマキャンで印象が残ってることは?
ヨッキバンドと平行して、ツアーを回った時じゃない?
マサそうそう。僕とヨッキは死にそうになった時だね。
ヨッキ2人でバンドをやってたんですよ。毎日ライヴとイベントでしたからね。めちゃくちゃだったなあ(笑)。
──よくやれましたね!
マサ若かったからじゃないですか。あと、チッタの日はものすごく時間が押して、マキシマム ザ ホルモンに迷惑をかけたんだよね。
ヨッキ今思えばだけど、この年は天狗になってたかもしれない。
マサそう思う。このラインナップが誇らしげながらも、なんとなくでやり過ぎた部分はあるかな。
ヨッキ予定よりも2時間以上押したんですよ。
──ああ、そうなんですね。
ヨッキ終演が23時半になったけど、そんなの関係ねえ!みたいな。根拠のない天狗が心の中にいましたね。で、次の日にナヲちゃんから電話をもらって、ハッと気付いたんですよ。言われるまで気づかない自分たちはバカだなって。お客さんの事を何も考えてないなって。
マサ自分たちがお客さんの頃はどのバンドでも盛り上がったし、時間が押したところで全然気にしてなかったんですよ。その感覚のままやっちゃったんですよね。でもホルモンは色んな事をちゃんと考えるバンドだから。ホルモンに気づかされたことが大きいですね。
ヨッキ天狗の鼻をへし折ってもらいました(笑)。