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パンク・ラウドの祭典「SUMMER CAMP」全史を振り返る!

「SUMMER CAMP」祝・10回記念特別対談!!
- HISTORY INTERVIEW Vol.2 -
(3/5)

TEXT:荒金良介

2002

── では、「SUMMER CAMP 2002」に行きましょうか。

マサこの年はクラブチッタ川崎で2デイズやったんですよね。

ヨッキそうだ! ここからチッタでもやるようになったんだ。

マサ渋谷ON AIR EASTが改装期間に入ったんですよ。チッタがライヴハウスみたいな形でやらせてくれるというので、2デイズやったんですよ。

ヨッキライヴハウスと同じシステムでチッタがやろうと言ってくれて、いわゆるチャージバックというシステムなんですけどね。

マサほかのハコは、あの規模感でなかなかそれができないから。

ヨッキあと、チッタはドラムセットとか機材を持ってることも大きかったですね。

マサいろんな意味で僕らの目線に合ってたんですよ。

── 02年のサマキャンはどうでした?

マサすごく覚えているのはHAWAIIAN6が出てくれたんですよ。ちょうど『SOULS』が出る前で、その年の8月にリリースするんですよ。出演者の中では当時圧倒的な人気があったけど、客席を見ると、3列目ぐらいまでしか盛り上がってなくて。でもその1カ月後にとんでもない盛り上がりになりますからね。

── まだ知らないお客さんが多かったタイミングですね。

ヨッキジワジワ来てましたけど、『SOULS』リリース後のライヴは凄かったですからね。

── そう考えると、作品って重要ですね。イベント自体はどうでした?

マサこの頃はソールドアウトしたっけ?

ヨッキ東京2デイズにしたから、1日800人ずつぐらい埋まったけど、ソールドにはならなかった。

マサそうか。大阪、名古屋はソールドしたんだよね?

ヨッキ完全にソールドした。凄い人だったもん! あと覚えているのは、この年からRIZEが出るようになったんですよ。それもふとしたことがきっかけで出てくれる事になったんですよ

マサうん、当時RIZEは洋楽の影響が強くて。このイベントに出ることで、いろんなバンドがいることを知ってくれたみたいで。

ヨッキそうだね。あっくんが「日本にこんなかっこいいバンドいるんだね!」と言ってくれて。

マサ純粋にそういう反応してくれたのは嬉しかったですね。

ヨッキ特にスカコア、スカパンクのバンドを観たのが衝撃だったらしくて。

── 02年は175Rも出演してますね。

ヨッキ僕がバンドをやっていた頃から仲良かったんですよ。彼らが初めて東京でやった時も僕らのバンドが対バンしたり、そういう流れもあったから。

マサあと、この年に麻波25がポカリのCMで大ブレイクしたのを覚えてる。

── ああ~、「SONS OF THE SUN」ですね。

マサこの時のステージセットは真ん中を出島みたいにして、それを麻波25が見事に使いこなして、「SONS OF THE SUN」をやったんですよ。お客さんもみんな手を振ってる光景を見て、凄いなって。

ヨッキその出島はソールドしなかったから、「こんなこともできるよ?」ってチッタ側から提案してもらって、それが見事にハマりました。あと、この年は宝島社の全雑誌に1ページ・ライヴレポが載ったんですよ。

マサそれで一気に広がりましたね。

ヨッキ今考えたら、どれだけの出稿量なんだろって。当時は何も知らなかったから、「smart」に載っちゃったみたいなノリで(笑)。有り難いことに、それをきっかけにサマキャンが浸透したと思います。

マサ02年ぐらいから“サマーキャンプ”をサマキャンと言われるようになって、サマキャン系と呼ばれるバンドも出てきたんですよ。

── そうだったんですか。

マサずっとサマキャンに出ているバンドは、そう呼ばれてびっくりしたのを覚えてます。

ヨッキまだネットがそこまで普及してなかった時代ですからね。やることなすこと全てが楽しかったですね。

マサこの年に名古屋、大阪のバンドも東京に出てもらおうという動きもあって。バンド側から東京公演にも出たい、と言われたことも大きかったです。

HAWAIIAN6

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10-FEET

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dustbox

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ROTTENGRAFFTY

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