TEXT:荒金良介
── 次に行きましょうか。「SUMMER CAMP 2001」ではバンド数が一気に増えてますね。
ヨッキ01年からツアー形式になってるんですよ。渋谷ON AIR EAST、名古屋ダイアモンドホール、大阪ベイサイドジェニーの3カ所でやりました。
── これは憧れだった「DEVILOCK」みたいなイベントにしたい、という気持ちがようやく実現できた感じですか?
ヨッキ目指すものはありましたからね。
マサヨッキがBROWN BAGGERをやっていたから、横の繋がりも結構あったんですよ。名古屋、大阪のハコでイベントをやってる人たちが知り合いで、「ツアーやりたいんだけど、協力してくれる?」と言うと、みんな快く手伝ってくれたのも大きかったですね。
── 各場所によって出演バンドは違いますね。
マサ被っているのはMISSILE GIRL SCOOT、宇頭巻(現UZMK)だけかな。地元に近いバンドに出てもらう形だったと思います。
── 初の東名阪ツアーはどうでした?
ヨッキ01年からプレゼント・コーナーをやっていた気がする。
マサここからライオンヘッド(MC)も登場するんですよね。
ヨッキこれが彼らにとって、初のイベントMCだったんじゃないかな。
── どういう繋がりなんですか?
ヨッキ大学の同級生なんですよ。ライオンヘッドの前にカマキリバンドというグループで活動してて、深夜のTV番組「ボキャブラ天国」にも出てたんですよ。それこそ「LONDON NITE」に一緒に行く友達で、こういうイベントを始めるから、何かやる?って誘ったのがきっかけですね。
マサでも大阪だけMCをハズしてるんですよ。なぜ大阪はやらないの?と聞いたら、大阪はお笑いのハードルが高いし、臭いも違うから無理!って。それでナシになりました(笑)。
ヨッキははははは、よく覚えてるね。
マサうん(笑)。で、ここからロットングラフティー、G-FREAK FACTORYが出るようになったのかな。ロットンは初年度の噂を聞いて、出たいと言ってくれたんですよ。
ヨッキ宇頭巻の紹介で、N∀OKIと初めて電話で話して、それがきっかけで出てもらうことになりました。
── 例えばロットンは99年結成なので、まだそんなにバンドも知られてなかった頃じゃないですか?
マサ現場レベルで噂は耳にしてました。スーツ着てライヴをやる姿もかっこ良くて。
ヨッキイベント当日、京都から大阪に来る時にロットンの車がバーストしちゃって間に合わなくて、出順を変えたんですよ。で、前のバンドが終わったと同時に到着して、汗だくでステージに上がりましたからね。じゃあ、行ってくるわ!って。で、すっげえいいライヴをやったんですよ。これは彼らもよく覚えてるんじゃないかな。
── 01年のサマキャン全体の印象はどうですか?
マサ大変だった思いはないですね。
ヨッキ楽しくやってましたね。フライヤーも10万部ぐらい刷って、それを手配りで撒いてました。
マサそうだね。当時はまだ今みたいにネット環境よりもフライヤーが重要視されていたし、ファッション関係のお店等に置く場所が沢山あったから。渋谷、原宿、下北沢を中心に2人で回る日を決めて、いろんなお店に置きに行きましたね。
ヨッキそれが面白かったんですよね。
マサお店の人と「また今年もやるんだあ」みたいな話もするのが楽しくて。
ヨッキ01年からイベントの中身も考えるようになりましたね。例えば「STORMY」は憧れのショップで、ちょうど「STORMY」がバイトを募集していたから、仲良くなってプレゼントを貰うために半年ぐらいバイトしたんですよ。
マサ当時、ヨッキがお店でずっとHi-STANDARDの『MAKING THE ROAD』が流れてると言っていたのを覚えてます。
ヨッキはははは。いろんなバンドの人たちが遊びに来たりして、楽しかったですね。難波さんもフラッと来てましたからね。
マサ当時、カルチャーの発信の重要な場所が「STORMY」でしたからね。
ヨッキそんな経緯もあり、実はこういうイベントをやるんですよと言ったら、BMXを3台もくれたんですよ。
── それは凄いですね。
ヨッキそれをイベントに来たお客さんにプレゼントしました。
マサ「STORMY」のステッカーも大量に頂いて、当時はそのステッカーだけでも一人歩きするくらい人気がありましたからね。横山健さんがステッカーをギターに張って、Hi-STANDARDをやっていたから、ウチらの世代はそのイメージが強いですね。
── 01年は大きなトラブルはなく?
ヨッキそうですね。大阪以外は初めてソールドアウトしたんですよ。東京はギリギリでソールドぐらいの感じで、特に名古屋は半端なかった!
マサ名古屋は地元のバンドの人気が凄くて。加えて、関東からCHANGE UP、DISPORT、関西からGERUGUGUが来て、スカ色の強いバンドが固まったんですよ。スカ人気が凄かった時だから、めちゃくちゃ人が来たのを覚えてます。この頃から名古屋はスカが凄いという認識ができましたね。
ヨッキスカ・シーンが確立されてましたからね。
マサあと、思い出したけど、当時ステージのバックドロップも作れなくて、ブルーシートを買ってきて、知り合いのグラフィティ・アーティストに描いてもらったんですよ。で、smorgasが一発目でPV撮影もすると言ってくれたんですよね。
ヨッキ東京の日、smorgasの本番前に来門がいないってなったんです。当時、彼はステージに杖みたいなモノを持っていたんだけど、それを家に忘れたらしくて。取りに帰ったみたいで、直前に戻って来てゼエゼエ言いながら、俺はこれがないとステージ立てないんでだよ!と言ってました(笑)。
マサ一番手からワクワクさせてくれましたね(笑)。
── はははは。
ヨッキだけど、お客さんも最初からパンパンでした。