ABOUT SUMMER CAMP

-HISTORY INTERVIEW- 10回記念(2015年)特別対談

TEXT:荒金良介

Vol.3
サマキャン休止~
復活~初野外への意気込みを語る!

『SUMMER CAMP 2005』は振り返ってどうでしたか?

ヨッキ

個人的な事になるけど、憧れの人に出会えた年なんですよね。

誰ですか?

ヨッキ

宮田和哉さん!

宮田

マサ

ああ、ジェット機に出てもらったもんね。

ヨッキ

超ド緊張で、ビシッ!としてました(笑)。

マサ

この年は複数箇所ソールドアウトしたんだよね。全体的にかなり人は入りましたね。

ヨッキ

でも、いろいろ大変だった気がする。

マサ

特にクラブチッタのタイムテーブルは凄く悩んだ覚えがある。誰をどう並べていいか、わからなくて。

ヨッキ

流れを作るのが難しくてね。

マサ

簡単に言うと、この日は個性が強すぎて、どういう空間を作ればいいのか、わからなくなって。

ヨッキ

よくこのメンツが揃ったよね。

マサ

まあ、嬉しい悲鳴なんですけどね。当時でも珍しいラインナップだったと思う。

05年のサマキャンで印象が残ってることは?

ヨッキ

バンドと平行して、ツアーを回った時じゃない?

マサ

そうそう。僕とヨッキは死にそうになった時だね。

ヨッキ

2人でバンドをやってたんですよ。毎日ライヴとイベントでした。めちゃくちゃだったなあ(笑)。

よくやれましたね!

マサ

若かったからじゃないですか。あと、チッタの日はものすごく時間が押して、マキシマム ザ ホルモンに迷惑をかけたんだよね。

ヨッキ

今思えばだけど、この年は天狗になってたかもしれない。

マサ

そう思う。このラインナップが誇らしげながらも、なんとなくでやり過ぎた部分はあるかな。

ヨッキ

予定よりも2時間以上押したんですよ。

ああ、そうなんですね。

ヨッキ

終演が23時半になったけど、そんなの関係ねえ!みたいな。根拠のない天狗が心の中にいましたね。
で、次の日にナヲちゃんから電話をもらって、ハッと気付いたんですよ。言われるまで気づかない自分たちはバカだなって。お客さんの事を何も考えてないなって。

マサ

自分たちがお客さんの頃はどのバンドでも盛り上がったし、時間が押したところで全然気にしてなかったんですよ。
その感覚のままやっちゃったんですよね。
でもホルモンは色んな事をちゃんと考えるバンドだから。ホルモンに気づかされたことが大きいですね。

ヨッキ

天狗の鼻をへし折ってもらいました(笑)。

『SUMMER CAMP 2006』はまたラインナップがかなり変わってますね。

マサ

まず名古屋がなくなったんですよ。最初に会場を押さえたけど、ブッキングがうまく進まなくて。

ヨッキ

名古屋のダイアモンドホールに電話して、めっちゃ怒られて、謝りに行ったなあ。結構ギリギリでキャンセルしたから、怒られて当然なんですけどね。

マサ

2人で名古屋に行って、謝って、とんぼ返りしました。あと、この頃は2人とも自分たちがやってる仕事に追われて、サマキャンのことを考える余裕がなくて。

すごく赤裸々に語ってくれてますが(笑)。

マサ

今思えばですけどね。やらなきゃいけないけど、やれてないみたいな。

義務感みたいものが生まれてきた?

マサ

やり続けなきゃいけない気持ちが生まれてきたのかな。僕はレーベルのこと、S.M.N.で忙しくなった頃なんですよ。

ヨッキ

俺は前年に就職してるんですよね。
会社をどうしても休めなくて、スタートしてから会場に着いたこともありました。
悪いのはわかっているけど・・・マサと楽屋でめちゃくちゃケンカしたのを覚えてる。それをROTTENGRAFFTYのNOBUYAが横で見てて、サマキャン復活の時にライヴのMCでその事を言ってた。

(笑)。

マサ

常に若いバンドを出したいと思って、PIZZA OF DEATHでデビューする前のF.I.Bもこの年に出てもらったんですよ。S.M.N.をやっていたので、その世代のバンドと出会う機会も多くて。京都にこういうバンドがいるんだ!ということを伝えたくて。

ヨッキ

あと、SOUTH BLOWとかね。

ライヴはめちゃくちゃ良かったですからね。

マサ

かっこ良かったですよね? あっ、この時にROTTENGRAFFTYは3カ所出てもらってるんだ! まあ、この年は世の中の空気が読めないところもあり、モヤモヤしながらやっていた時期でしたね。

ヨッキ

うん、そうだねえ。

マサ

当時覚えているのは、僕がTHE CHERRY COKE$を出したいと言ったことですね。こんなバンド観たことねえ!という驚きを提示したいと。
結果的に出てもらえたから、良かったですね。
だけど・・・この年はいろんなものが見えなくなってましたね。

それで次の年にサマキャンは休止するわけですよね。

マサ

しばらくやめようかなと。

ヨッキ

05年以降はライヴハウスに行く機会もめっきり減っちゃって。
当時マサから「ヨッキは何してるの?って聞かれるよ」と言われてましたね(笑)。
7月23日のチッタの打ち上げで泣いたの、覚えてますもん。

なぜ泣いたんですか?

ヨッキ

それは出演してくれたバンド、来てくれたお客さん、マサに対して、自分は不甲斐ねえなと思って。

マサ

ヨッキは自分の中でやり切れなかったんでしょうね。

ヨッキ

みんなに謝ってまわってました。

バンドのように浮き沈みはありますよね。

ヨッキ

本当そうですね。

マサ

それでやらなきゃいけないという義務的な気持ちなら、一度やめようという話をしたんですよ。
正直もう二度とやることはないだろうと思ってやめました。

ヨッキ

そうだね。

それで7年間の沈黙があって、2013年復活しました。これはどういう理由で?

マサ

12年にイベントでチッタへ遊びに行ったんですよ。
で、チッタの人から来年クラブチッタ25周年になるから、サマキャンやってよ!その25年の歴史の中にサマキャンもあるわけだし、どう?と提案されて。
その他にも周りからサマキャンやってよ!と言われてたんですよ。ヨッキも僕も休止前と比べたら、ある程度自分のペースで動けるようになってたから。

ヨッキ

いろんなバンドからもやってよ!って言ってもらってて、それがやろうと思ったきっかけですね。

マサ

7年間サマキャンをやらない間にいろんなイベントを見て、僕らがやってたこととそんなに変わらない部分もあるし。
負けてられないじゃないけど、そういう気持ちも新たに生まれてきたんですよ。今だったら、どんなことがやれるのかなって。
06年にやめようと思った時よりも、面白いものがやれるという気持ちはありましたね。

ヨッキ

12年頃にサマキャンじゃなくても、お互いに何かをやりたいね!という話はしてたんですよね。

そして、復活一発目の『SUMMER CAMP 2013』をやってみて、どうでした?

ヨッキ

根本的に接点のないバンドを繋げたい、という部分に関しては全く変わってないんですけどね。

マサ

無理やり引っ付けるわけじゃなく、数珠繋ぎをしたいなと。
混ざらないものを混ぜるというより、いかに繋げるかという。
その気持ちは13年のサマキャンは強かったなあ。00年の頃は僕らもお客さんも水と油という混ざらない楽しさを欲してたと思うんですよ。
でも途中から水と油というスタイルを欲さない人たちが増えた時に、いろいろ考えた気がします。

とにかく、13年のサマキャンのラインナップは凄いですよね。

ヨッキ

それも自分たちの付き合いの中で声かけに応じてくれた人たちばかりですね。

マサ

06年にやめてから7年間空いたじゃないですか。その間もコミュニケーションを取ってきたバンドを優先しました。

ヨッキ

まずはそこが第一ですね。このために連絡を取ったアーティストはいないですね。

サマキャンの集大成みたいなメンツですよね。

マサ

このときにサマキャンを知った人が多いかもしれないですね。

とりわけ、BiSとBABYMETALがこのラインナップに並んでいるのが面白くて。

ヨッキ

これも繋がりがあるから呼んでます。
BiSに関しては担当ディレクターともともと仲良くさせて貰ってたし、BABYMETALのプロデューサーKOBAMETALさんは僕がBROWN BAGGERをやっていた時、レーベルのアーティスト担当だったんですよ。
で、13年にサマキャン復活させるんだよねと相談したら、面白そうだねと言ってくれて出てくれたんです。

マサ

僕の感覚だと、以前ならBiS、BABYMETALはアイドルだと思っていたのでバンドとあまり接点がないからナシだったんですよ。
でも自分たちが音楽現場でずっとやってきて、アーティストと直接繋がっていなくても、知人を介して繋がっているのであれば、それも立派な繋がりでしょって。それで新しい形を作りたいなと。

ヨッキ

この2組はアイドル的な要素が強いから浮くかもしれないけど、ほかのどのアイドルよりも、このラインナップに馴染むと思ったんです。
それがわかっていたから、面白かったですね。お客さんの反応もそうだし、出てくれたバンドも面白いと言ってくれたから、嬉しかったですね。

BABYMETALもよく出てくれましたね。

マサ

ちょうどいいタイミングだったのかなと。

ヨッキ

サマキャンに出てくれるということで、色々こだわってくれていました。

マサ

BABYMETALは想像以上でビックリしました。

ヨッキ

しかも2組ともすごく盛り上がりましたね。

マサ

ほんとはバンドが、もっとこれぐらい自由にやらないといけないんじゃないの?と思う部分もありました。
13年のサマキャンにBiS、BABYMETALを入れることに関して賛否が起きることは、いいことだなと解釈してました。
ここでサマキャンを否定されようと、肯定されようと、これがサマキャンだから!と堂々と言えるようになりましたね。
この年から僕もヨッキも夏はここでみんな集まって一緒に歳をとろうよ、という気持ちが芽生えてきましたね。
昔はそんなこと全く思わなかったけど、13年にはそういうことも感じるようになりました。

13年のサマキャンの手応えは?

マサ

バンドも年月を重ねることで、自分たちの色を出せるようになったし、そこに助けてもらえた部分が大きいですね。
13年はフェスと言われるものが乱立して、ある意味フェス以上のものを作りたい気持ちはありましたね。
それは今ほどフェスというものがない時代からやってきたという自負もありますね。

ヨッキ

ライヴハウスのノリで規模を大きくしてできるのか。
それが最初のコンセプトですから。
だから、出演者が全部観れるタイムテーブルしか組まないし、基本そこにはこだわってるつもりです。
まあ、フェスの定義は人それぞれだけど、自分の意識はそうですね。

出演ラインナップの色も一貫してますからね。ずっと目線はインディーズ・パンクシーンに向いてますからね。

マサ

そうですね。

ヨッキ

13年のサマキャンは3日間共ソールドアウトしました。そんなに反響があるとは思ってなかったんですよ。

いやあ、このラインナップだったらするでしょ!

マサ

久々にやるんだねって、バンドもすぐに返事をくれたんですよ。
出たい出たいと言ってくれるバンドも多かったから、また自分たちのモチベーションも上がりましたね。

00年からずっとやってないと、集められないメンツだと思いますよ。

ヨッキ

どうなんですかね?
あまりそういう風には思ってなかったんですよ。
ただ、7年ぶりにやってみて、個人的にはシーンが大きくなってるなあと実感しました。
ポピュラーになりましたよね、アンダーグラウンドだったものが。

マサ

オーバーグラウンドになりましたよね。

ラウドシーンひとつ見ても、昔と今でも全然違いますからね。

ヨッキ

それはここに出てくれてるバンドたちがずっとやり続けてくれたからこそ、シーンが大きくなったのかなと。
正直、イベント企画も自分たちの力ではないですからね。
根本的なところで、サマキャンを復活させてから、出てくれたバンドたちのおかげだなという気持ちは更に強くなりました。
だからこそ、出て良かったと思ってもらえるイベントにしなきゃいけない。それはバンドもそうだし、来てくれたお客さんにもそう思ってもらいたい。
そうじゃないと、俺らがやる意味はないですね。

マサ

自分たちがお客さんだった頃に、イベント名というよりはラインナップが面白そうだから、行こうよ!という部分が出発点ですからね。
バンドの力がないと、成り立たないです。

ヨッキ

それを一昨年、去年は意識しました。だからこそ、出てくれたからには何かを持ち帰ってくれたら嬉しいなと。

マサ

何かしらの意味合いがあって、バンドには声をかけてますから。
ただお客さんを呼べるバンド!みたいな理由では誘ってないです。
そういう気持ちをお互いに大事にできたらいいなと。
13年からは特により一層考えてます。
僕らも楽しいからやっています。
その楽しみ方の種類は少しずつ変わっているかもしれないけど。

ヨッキ

自分の中でいいバランスが取れて、今は前向きに捉えてますね。

13年をやり終えて、『SUMMER CAMP 2014』は自然の流れでやろうと?

ヨッキ

まあ、いろいろありましたね(笑)。

マサ

正直言うと、13年やった時に14年やるかどうかはわからなかったんです。
ただ、13年の準備をする中で、ここで止まれないねという気持ちはあったよね?

ヨッキ

うん、それはあったね。周りのバンドに言われすぎたのもあります。「これ1回で終わらせるつもりなの? あり得ないから!」みたいな。それもすごく嬉しくて。

マサ

あと、13年で呼べなかったバンドを呼びたい気持ちもあったから。

なるほど。『SUMMER CAMP 2014』の初日をオールナイトにした理由は?

マサ

実は会場の日にちが取れなかった部分も大きくて。
でも僕らの中でオールナイトにしたのは意味があるんですよ。
チッタでオールナイトは憧れでした、世代的に。「ロンドンナイト」もオールナイトだったし、憧れの世代の人たちがチッタのオールナイトでやっていたイメージがありますね。
オールナイトに何かがある、という世代でしたから。で、13年頃からチッタをいろんなバンドが頻繁に使うようになったけど、オールナイトでやる人たちはあまりいなかったですし。

賭けと言えば、賭けですよね。

マサ

まあ、自分たちが辛いのはわかってましたから(笑)。

ヨッキ

38時間ですよ!

ははは、それはほんとに凄いです。

マサ

このラインナップだと、BACK DROP BOMB、COKEHEAD HIPSTERS、NAMBA69、RADIOTSとか、上の世代でチッタを使ってブイブイ言わせていた人たちにイベントに出てほしかったんですよ。

ヨッキ

そしたら先輩たちから「もう、オールナイトは辛いからさ!」と言われて。いや、あなたたちから影響を受けたのにって(笑)。

マサ

14年のサマキャンはこれはこれで行った人はメモリアルになってくれたらいいなと。
出演バンドからも「オールナイトなんて、なかなかないよねえ」と言われながらも、強攻スケジュールで出てくれたバンドもいましたからね。

実際にやってみた感触は?

マサ

今のお客さんからすると、オールナイトはストレスになるのかなと。
オールで酒を飲みながら、祭り祭りした雰囲気だった僕たちの世代と比べて、今の人たちは好きなものを見てパッと帰りたいのかなと。
でもオールナイトでまたやるなら楽しみにしてます!という声ももらいましたからね。
いろんなリアクションをもらえたことは良かったですね。

ヨッキ

オールナイトの終わりの頃、チッタの外の道はひどかったです。夏だから、みんな道で寝てて。まじか?! 平和だなって(笑)。辛かったけど思い出に残った、もう嫌だという人と賛否は分かれたけど、俺らは楽しかったですね。仮眠しようとしたけど、結局一睡もしなかったし(笑)

マサ

辛いなあと思ったけど、笑いながら楽しみました。

ヨッキ

打ち上げもやったしね?

打ち上げもやったんですか!

ヨッキ

やりましたよ! ヘロヘロでしたけどね。

マサ

次の日チェックアウトの時間でも起きれないくらいヘロヘロでした。

では、最後に10回記念になる『SUMMER CAMP 2015』の話を伺いたいんですが。

マサ

サマキャンと言って夏にやってたけど、いわゆる夏フェスと言われるものも増えてきて。
そう考えた時にサマキャンをフェスにするつもりはないし、時期もラインナップもどうしようかなと。

ヨッキ

結局被るからバンドもどちらか選ばなきゃいけないし。
でも「SUMMER CAMP」と謳っているから、やっぱり夏じゃないですか。
でも、はっちゃん(HATANO/HAWAIIAN6)から「別にサマキャン、夏じゃなくても良くね?」と言われて、ああ、そうかなって。
それでふと時期はいつでもいいのかなと。

マサ

13年、14年とやってみて、サマキャンはただの名前なのかなという意識も芽生えて。「SATANIC CARNICAL」もコンセプトであって別にサタンはいないじゃないですか?(笑)。

ヨッキ

友達からも「FUJI ROCK FESTIVAL」も富士山の近くでやってるわけじゃないし、と言われて。

ほんとそうですね。

ヨッキ

縁あって、5月に話をいただいたのでやろうかなと。

マサ

僕らも野外は気にはなってたんですよ。自分たちはずっと屋内でやってきたけど、野外はどうなのかなって。

今年(2015年)、サマキャンに来る人はどんな所でやるんだろう、と思ってる人もいると思うんですよ。駐車場みたいな場所にステージを組むんですよね?

ヨッキ

そうですね。臨時駐車場になってる空き地を使う形ですね。立地は駅から徒歩3分ぐらいですからね。

マサ

お客さんのアクセスにはそんなに苦労しないかなと。

ヨッキ

ただ、規模が一気にでかくなりますね。

マサ

ゼップ東京の裏側で、大自然の中ではない!(笑)。それくらいかな。海は横にありますけどね。

ヨッキ

サマキャン10回目という節目なので、何かを残せたらいいですね。

マサ

フェスが当たり前になってきたけど、僕らにしか出せないカラーは考えてるつもりです。

ヨッキ

ライヴハウスのイベントが飛び出したような感覚です。
だから、ドリンクチャージにしているのもライヴハウスならではですからね。
ほかにもいろんなところでライヴハウス感を見せられたらなと。
野外きっかけで来てくれたお客さんが、今度はライヴハウスに足を運んでほしいですね。
新しいかわからないけど、僕らなりにやれることをやろうと。
作戦を練ってるところです。

マサ

日々ライヴハウスを回って切磋琢磨してるバンドが、この日は青空の下でやるようなイメージですね。
お客さんも普段地下や夜にバンドを観ることが多い人なら、この日は明るいところで観て喜んでもらえたらいいなと。

わかりました! 長い時間、結構赤裸々に語ってくれましたね。

ヨッキ

ウソついてもしょうがないですから。

マサ

それこそバンドと一緒で、そういう時期を受け入れられたからこそ、今がありますね。

ヨッキ

またいつ止めて、いつ始めるのか、それもわからないですし。

マサ

ある意味いちばんバンドに近い感覚を持ったイベントだと思ってます。
ただ、辛いのは今回は1日だけなので、復活後のサマキャンの中では、いちばんバンド数が少ないんですよ。
あのバンドも、このバンドも誘いたいと思いながら、現実的にできなかったという事情もあるので。
発表後に出たかった!と言ってくれたバンドもいたので、その歯痒さは相当あるんですけど。

ヨッキ

めっちゃありますね。バンドの枠が足りない!って。
それでも最初は11時から演奏スタートを考えていたけど、バンドの枠を広げたくて、10時スタートにしたんです。
どうしても音止めの時間がありますから。

マサ

野外だから、そこはライヴハウスと違いますね。

ヨッキ

是非来てください!!