TEXT:荒金良介
── 話を戻しましょうか。
TAKUMA戻ってもこんな話ばかりですけどね(笑)。使えない話ばっかり。
── 使える話をお願いしますよ。
N∀OKIやっぱりUZMKのイメージが強いなあ。
TAKUMA強いなあ。UZMK、G-FREAK FACTORY、ヨッキ(笑)。
ヨッキ 俺(笑)?
N∀OKIUZMKはいろいろ回ってたし、特に俺らはUZMKにフックアップしてもらったから。
── ロットンも2回目からずっとサマキャンに出てますよね。
N∀OKIでも俺らは大阪から出してもらえなかったから(笑)。
TAKUMAそれ、何度も言うなあ(笑)。
N∀OKIなんで俺らはいつも大阪なんって、いつも言ってた(笑)。
── 当時、お互いの印象はどうでした?
N∀OKI10-FEETに関しては身内だと思っていたけど、ただtickの映像を流した時は凄い印象に残ってるなあ。10-FEETの後にtickの映像が流れて、REIGO5の母ちゃんが出てきて、10-FEETはゴツくなったなあって。
── ゴツくなった?
N∀OKIライヴや人気を含めてね。G-FREAK FACTORYに関してはサマキャンで絡んでないもんな?
茂木うん、サマキャンでは一緒に出たことなかったんじゃないかな。
N∀OKI俺らは関西で抑えられてたから(笑)。
茂木あと、昔は個人イベンターがたくさんいたよね。
N∀OKIおったなあ。
茂木全国にイベンターはいっぱいいたけど、サマキャンは個人イベンターがやる最大規模だったもんね。
TAKUMAこれよく回したよな? 凄いぜ!
ヨッキ今思えば、よくやってたなと。
N∀OKIだって、めっちゃ若い時やろ?
マサ 最初にイベントやった時はヨッキが24歳で、俺が21歳だったからね。
TAKUMAへぇー! これをツアー形式でやるなんて気が狂ってる。やろうと思わへんもん。だから、みんな楽屋で倒れていくんや(笑)。
茂木若さゆえかもね。
ヨッキ そんなに深く考えて行動してなかったからね。
茂木ある意味事件だよね。
ヨッキ各ライヴハウスと個々にチャージバックの話をしたりね。イベンターもあえて入れなかったから。
マサ俺らも子供だったから、掻き回されるのが嫌だったからね。大人に何かをされるんじゃないかと思って。
TAKUMAそれを含めて、DIYな時代やったもんね。
N∀OKIこういうイベントを全国規模でやったハシリやもんな。
TAKUMA日本のワープド・ツアーみたいなものやし。
茂木しかも大バコでやってるしね。
マサ各地方に協力者がいたことが大きいよね。
茂木福岡もやってたよね?
ヨッキ初めて福岡でやった時は10-FEETが全カ所回ってくれた時かな。
TAKUMAtickの映像を流して、それをMCで伝えたもんな。あれは印象に残ってる。tickの家族と出会って、今自分にできることは何かと思って、使命感と力がモリモリ沸いてきたのを覚えてます。
── なぜTAKUMA君はそんなに気持ちが入っていったんですか?
TAKUMA楽しくやるのもいいけど、楽しさが溢れてこぼれるくらいあったから。こんなに騒いで、酒飲んでぶっ倒れてる人もいるけど、その裏側にあるものも伝えたい気持ちがあった。出演者、tick、REIGO5のおばちゃん、サマキャンのストーリーをまとめなきゃという気持ちでMCをしていた気がする。
── それが03年のサマキャンですね。
TAKUMAそうですね。tickと全カ所回りましたからね。
N∀OKIREIGO5が亡くなった直後?
ヨッキ うん、彼らの音源が発売出来ないって問題が当時は一番大きくて、俺らで何かできないかなと。で、おばさんがREIGO5をつれて行くわって。ステージのドラムのとこに遺骨を置いてライヴして一緒に全国をまわったんだよね。
── そして、03年以降のサマキャンはどうでした?
TAKUMA居心地に関しては友達だったり、友達の友達ばっかりやから。出会うバンドの数も多いし、ある程度頑張ってきた奴らしかいないから、凄い場所でしたね。
茂木しかもみんなほとんど同世代だもんね。
TAKUMA年齢が近くて、全員本気やったしね。それを集めたのは凄いな。
マサ俺らもそういうバンドがいたから、やれたのかもしれない。
── N∀OKIさんはどうですか?
N∀OKIまあ、05年のサマキャンはベロベロやったな。それ以前はベロベロじゃなかったんですよ。05年ですべてが解き放たれましたね。今では考えられないけど、ライヴ前に飲んでましたからね。サマキャンはほんまに夏の風物詩みたいやったな。あれに出れてナンボと思ってたから、チッタ以外全カ所回れて良かったですね。