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パンク・ラウドの祭典「SUMMER CAMP」全史を振り返る!

「SUMMER CAMP」祝・10回記念特別対談!!
- HISTORY INTERVIEW Vol.1 -
(3/3)

TEXT:荒金良介

── ヨッキさん、高校の頃に既にそういうイベントに行ってたんですか?

ヨッキ高校の頃に頑張って、革ジャンとマーチン買って行ってました。

── 周りにそういう友達はいました?

ヨッキ同じ学年に2人いて、上の学年だと、数人はいましたね。今もつながってる人はいますよ。KEMURIの津田さんに当時の話をしたら、「よく知ってるねえ!」って感心してくれました(笑)。

── 二人ともライヴ・デビューが早いですね。

ヨッキ俺、地元が高円寺ですからね。高円寺20000Vに初めて行ったのは中学ですから。超ビビッてましたけど。

マサ俺は逆に田舎だったから、情報だけがバンバン入ってきて。いいなあという憧れだけ大きくなって。高校の頃はヨッキと違って、さっきも言ったけど、予備校に行くぐらいに日本のパンクを知るようになったから。その頃はインディーズはバブル期を迎えるようになっていたけど、自分は先に行ってる感じがしましたね。『AIR JAM』は97、98、00年、全部行ってます。

ヨッキ98年の頃はまだ自分のバンドをやってて、同じ日に渋谷のGIG-ANTICでライヴがあったんですけど、マジで人来なかったですね(笑)。あと、俺とマサはもともとの音楽背景が違うんですよ。マサはX(JAPAN)から音楽に入ってるし。

マサビジュアル系から洋楽を聴き始めて・・・『エクスタシーサミット』のビデオを観て、みんなが武道館のステージで好きなように暴れてるのが面白いなと。『DEVILOCK』にも通じるものがありましたね。話が戻るけど、洋楽のインダストリアル、オルタナ、それからパンクを聴いて・・・日本人だけは聴いてなくて。Hi-STANDARDが出て来た頃はちょうど洋楽と邦楽の境目があまりなくなってきたから、それでHi-STANDARDから聴き始めたんですよね。洋楽はEINSTURZENDE NEUBAUTEN、SKINNY PUPPY、NINE INCH NAILS、WHITE ZOMBIEとか・・・昔は芋づる式に音楽を聴いてたんですよね。この部分を取ったら、ここに通じるみたいな感じで聴いてました。90年代は幅広く聴けるようになって、ヨッキと噛み合うようになったのかな。

── マサさんの邦楽パンクの入口はHi-STANDARD?

マサそうですね。お店でずっと流れてて、洋楽だと思っていたら、邦楽で・・・。やべ、俺、日本人をいいと思っていたんだ。でもいいしなあって。

ヨッキははははは。俺は邦楽から入って、最初はバンドブームで、BOØWY、BUCK-TICK、COMPLEXとかいたけど、その中でTHE BLUE HEARTS、JUN SKY WALKER(S)が好きで。それから掘り下げて、LAUGHIN' NOSE、COBRA、それからイギリス、アメリカのパンクを聴くようになって、結構同時進行でしたね。中学の時にSNUFFも聴いてたし、高校卒業する頃に『ロンドン・ナイト』にも行くようになって。そこから音楽を吸収して、次の日に西新宿のレコード屋に買いに行ってました。

マサ俺はその頃、地元の静岡にインディーズ・パンクを中心に扱ってるレコ屋があって。あらゆるものを試しに聴かせてもらって、それから一気に広がりましたね。

ヨッキちなみに俺がHi-STANDARDを知ったきっかけは、JET BOYSなんですよ。オノチンさんがギター/ボーカルで、それもTHE RYDERSの元ギターがオノチンさんだったからなんですよ。で、JET BOYSのライヴを観に行った時に全然人がいなくて。その前座は誰って聞いたら、Hi-STANDARDというバンドらしいよって。NOFXのパーカーを着たスタッフの人に「Hi-STANDARDってどんなバンドなんですか?」と聞いたら、「メロコア!」って言われて。メロコアって何だよ!って。

── 初めて聞いた言葉だった?

ヨッキ日本のバンドでメロコア? BAD RELIGIONみたいなバンドかなって。で、ライヴを観たら、サラサラのロン毛と短髪の古着着た爽やかな兄ちゃんがライヴやってる。えっ、全然パンクじゃねえじゃん。でもなんかかっこいいなって。客は5人ぐらいしかいなくて、その半年後に『LAST OF SUNNY DAY』(94年発表)が出たのかな。

── 凄い時期にHi-STANDARDを観てるんですね。

ヨッキたまたま観ちゃったんですよね。

マサそういう話を聞くたびに俺はうらやましい!と思ってました(笑)。

── ヨッキさんは一冊本が書けるくらい、パンクの現場をずっと見てますね。

ヨッキパンクの歴史本とか読んでも、すごく共感できますからね。今となってはすごく助かってますよ。難波さん、津田さんとも当時の話がちゃんとできますからね。こないだSNUFFの来日Tシャツを着てたら、難波さんが食いついてくれて。「健君とHi-STANDARDをやるときに、実はSNUFFとHARD-ONSを足して二で割ったようなバンドをやろう」みたいな話したんだよねって。確かに『LAST OF SUNNY DAY』は思いっきりそうじゃんって。

マサそういう話ができるのはでかいよね。

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