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パンク・ラウドの祭典「SUMMER CAMP」全史を振り返る!

「SUMMER CAMP」祝・10回記念特別対談!!
- HISTORY INTERVIEW Vol.1 -
(1/3)

TEXT:荒金良介

── 今回『SUMMER CAMP』(以下サマキャン)開催10回記念ということで、企画者のお二人に話を聞きたいと思います。まずサマキャンをやろうと思ったきっかけは?

ヨッキ最初はサマキャンじゃなかったんですよ。2人でイベントをやりたいという話を俺から持ちかけたのかな?

マサチカラじゃない?

ヨッキ順を追って話した方がいいですね。もともと『MAD TRIP NIGHT』というイベントを下北沢のシェルターでやってたんですよ。それが99年ぐらいかな。3カ月に1回のペースでやって、コンセプトはメロコア、ミクスチャー、スカパンクがごっちゃ混ぜみたいなイベントで。当時同じジャンル同士で対バンするイベントはあったけど、ミックスすることがあまりなかったから、そういうことをやれたら面白いなと。バンド側ではなく、イベント側から仕掛けたら、また違う化学反応が起きるんじゃないかと。で、毎日ライヴハウスでフライヤーを配っている中で、いつも似たようなイベントと被るなあと思って。それが恵比寿MILKでやっていた『UP STREAM』というイベントで、DJとバンドというコンセプトでやってたんですよ。それをチカラという奴がやってて・・・今はTHE BAWDIESの事務所の社長なんですけどね。

── そうなんですね。

ヨッキそっちはGREST、THE MINNESOTA VOODOO MENとか出てて・・・。

マサもっとパンク、ロック寄りでしたね。

ヨッキそれでチカラに会ってみたいと思って、バンドの紹介でライヴハウスの打ち上げで顔を合わせて。それから仲良くなって、1000キャパぐらいの個人でやるイベントが当時はなかったから、00年にチカラと3人で一緒にやったんですよ。

── それが00年にやった記念すべき1回目のサマキャンですね。

ヨッキそうですね。お互いに呼びたいバンドを出し合ったり、お互いに同意のバンドもいたしね。手分けして声をかけました。

マサ今から15年前? ヨッキが24歳で、俺が21歳かあ・・・。

── めちゃくちゃ若いですね(笑)。

マサ俺は学生でしたからね。

ヨッキ僕はバンドをやっていたので、就職活動し忘れていたというか、フリーターをやってました。まあ、1回目は人は入らなかったですけどね。

マサ当時の渋谷ON AIR EAST(現TSUTAYA O-EAST)ですね。

── 建て替える前のON AIR EASTですね。懐かしい!

ヨッキ会場の前に広場があるのが良くて。

マサコンビニの前に溜まり場があってね。

── ありましたねえ。

マサだから、当時はお祭り感が出せたんですよ。

ヨッキそれで友達がフランクフルトのお店を出したりして。

マサやってたねえ! 雰囲気は今のサマキャンに通じるものがあったかもしれない。

ヨッキみんなで作ってる感じが自然と出てたかもね。

マサ自分たちの繋がりの中で呼んだバンドばかりだから、そういう色も出てたのかなと。

ヨッキこの中で今でもやってるバンドはSTOMPIN' BIRD・・・。

マサ宇頭巻(現UZMK)、GOOFY'S HOLIDAY、B-DASHとか。

ヨッキU CAN'T SAY NO!とGRESTもまた最近始めたしね。

マサうん。まあでも一番ゴリゴリやってるのはSTOMPIN' BIRDだね。同じペースでやってるから。

ヨッキ現役バリバリだもんね。あと、この1回目のメンツだと、ABESTIE BOYSが解散直前だったんですよ。こういうイベントを始めるんだよねと言った時に、「ごめんね!」と言われたのをすごく覚えてます(笑)。

マサヨッキが『MAD TRIP NIGHT』の時からABESTIE BOYSを誘ってて、ずっと出てもらえなくて。この時に念願が叶ったのに最後みたいな話になったんだよね(笑)。

ヨッキしかもスケジュールも無理やり合わせてくれたんだよね。「いや、俺ら解散するけど、出してくれるなら調整するよ」って。

マサ確かABESTIE BOYSの東京ラストが『AIR JAM 2000』の前日で、新宿LOFTだったかな。

── よく覚えてますねえ。

マサあの頃は若かったから、何でも新鮮でしたからね。

ヨッキははははは。

── しかし、お二人みたいに20代前半でイベントやってる人たちは他にもたくさんいました?

マサ珍しかったんじゃないですかね。今思えば24歳、21歳でやってる奴はあんまりいなかったですね。当時は周りがどうこうも考えなかったし、ただ面白いことをやりたい気持ちの方が強かった。

── その二人の初期衝動はどこから来てるんですか? 既存のイベントに遊びに行くだけで、満足しちゃう人もいるわけで。

ヨッキ俺とマサできっかけは違うんですよ。俺はBROWN BAGGERというミクスチャー・バンドをやってて、全国ツアーを含めて活発に動いてたんですよ。で、福井のイベントに出た時に、サマキャンみたいなイベントをやるきっかけになってるんですよ。福井で1000ぐらいのキャパで、対バンは誰?と聞いたら、BOY-KEN、ZEEBRA、YOU THE ROCK★、バンドがスケボーキング、BROWN BAGGER、山嵐がキャンセルになったから、宇頭巻が出たのかな。オールナイトだし、入らないだろうと思っていたら、お客さんがバンバン入ってるし、みんなすごく楽しそうにしてる。名もない俺らのバンドもやたら盛り上がるし、何だこれ?って。最初のきっかけはそれですね。ちょうど『DEVILOCK』のイベントも始まっていた頃だし、そういうイベントをやりたいなと。で、バンドもどうしようと悩んでいた時期だったから、マサに相談して、何かイベントやろうよって。

── ジャンル関係なく盛り上がってるところに引かれた?

ヨッキそうですね。ジャンルの壁を越えてるところに魅力を感じました。それがヒップホップとロックじゃなく、もっと狭いコミュニティの中であってもいいんじゃないかと。当時はそういうものがなかったですからね。CHANGE UPのTシャツ着てるキッズが宇頭巻のライヴでダイブしてたら、アガるっしょ!みたいな感じでした(笑)。

── ああ〜、なるほど。

ヨッキ2、3日に1回5時間ぐらい電話でそんな話をしてましたからね。

マサ俺はもともと田舎で育って、こういう音楽に興味を持ったのは予備校の時で。それまで邦楽は聴かなかったけど、Hi-STANDARDがきっかけですね。それで『AIR JAM 97』に行って、なんだこれ? すげえなって。お客として行ったけど、もう一歩奥の世界に入りたくなって。大学でこっちに出てきた時に、予備校の時の同級生がMISSILE GIRL SCOOTに入ったんですよ。

── えっ、そうなんですか?

マサそれがこの世界に急接近したきっかけですね。MISSILE GIRL SCOOTのライヴにほぼ足を運ぶようになって、そのうちに手伝うことになって。BROWN BAGGERともよく対バンしていたから、それでヨッキと知り合ったんですよ。俺も東京の『AIR JAM 97』みたいな雰囲気に憧れがあったし、20歳ぐらいの男の子としてはバンドというバンドとすべて知り合いになりたかったんですよ。でも最初の一歩を踏み込んでも、対バンはいつも同じだし、打ち上げで知り合う人も固定化されてくる。そんな時にヨッキから「こういうイベントをやりたいんだよね」と言われて。自分がオムニバス形式のライヴを観て、いろんなバンドを知ることができたから、そういうイベントをやりたいなと。

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